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    そういった賑わいを写真で伝えたいと思うのだが、それにはかなりの技量が必要で、賑わいを表現した写真はおいそれとは撮れない。また、喧騒の中にカメラを持って入るのも、人の顔を写すのが問題になるだけでなく盗難の危険もあるので、なかなかできない。それで、車で通りがかった時ガラス越しに撮った写真を並べて雰囲気の一端だけでも見てもらえないか、と思って作ったのがこのページだ。場所は、テゲタ。大ダルエスサラームの中にはあるが、市の中心から北に20キロ以上離れた郊外の町だ。日曜の朝のテゲタは大賑わいだった。

    タンザニアに来てみて思ったことは、どこにも人が溢れていて活気があることだ。まだ南西部の後発地帯には行っていないが、見た限りでは、人里離れたところは別としても、ちょっとした集落に行くと、朝市だ、浜辺の散歩だとたくさんの人が結構着飾って歩いている。屋台のような店だが、数はたくさんあるし、食料品から調理済みの食べ物、日用品から自動車、家具、携帯電話に至るまで、品ぞろえは豊富だ。子供には可愛らしい服を着せて、母親や父親が大切そうに手をひき、赤ちゃんはしっかり抱いて歩いていく。

    右側に見えるairtelというのは携帯大手の名前。ここに来るとairtelの携帯用のプリペイドカードが買える。二輪のバイクは、アジアほど横行はしていないが、けっこう人気の商品だ。一番左手に見える青色の三輪自動車は、最近インドから大量に入って来ていて、小型タクシーとして使われている。

    テゲタの町に入って直ぐ右側に見えた風景。大きなアカシヤのような樹の下で、おばちゃんが何やら食べ物屋台を開く支度をしている。左手後方にある二つのガラスケースは、フルーツジュース屋のようだ。樹の幹に打ち付けられているのは、伝統療法の医者の看板。「しつこい病気に治します・おいでください」とある。

    左からオジサンが革靴を履き自転車に乗って登場して来ているが、自転車も街中でぼちぼち見かける。大半の人たちは、テゲタからダルエスまでの通勤には、自転車ではなくダラダラという乗り合いバスを使っている。 ラッシュと乗り継ぎで短い距離でも時間がかかるが、2時間程度の通勤はダルエスで働く人にとっては当たり前のことらしい。

    同じく、店開きの支度をしているおばちゃんの左で、綺麗な服を着せてもらった女の子が二人、家から出て来て往来を見ている。良く見ると、服は綺麗だけど、足は裸足だ。その後ろの椅子のある一角は食堂のようだが、ここにもairtelの看板が出ているが、ともかく携帯電話の普及はすさまじい。電気が引かれていない山間僻地でも多くの人が携帯を使っている。

    左側の方は、荒物店のようだ。その二階で、幌が巡らされているあたりは、食堂。風通しがよさそうだ。食堂の壁に架かっている黄色い看板は、ケニア産タスカー・ビール。タンザニアに住んでいると、タスカーよりも国産のキリマンジャロとかセレンゲティに肩入れしたくなる。

    三輪車が三台揃っているところを写してみた。こう見てみると、すべてが同じ型ではない。横転したり、路上でエンストしたりしているのに良く出くわすが、ラッシュの時に歩道を走ったり、狭いところを走れるという優位さも持っている。後方には、またもや携帯関係の看板が、、、Duka la simuというのは電話店という意味。

    タンザニアの人たちの基礎的な食事はウガリに煮豆をかけたもので、豆の種類もたくさんある。一方、炒めて食べる葉物野菜の代表はムチチャで、これは英語でスピニッチとして売られている。しかし、ほうれん草とは別物で、鶏頭の一種のアマランサの葉だ。独特のえぐみがあるが、鉄分やカルシウムなど滋養豊富なので、日本でも健康食品として売られている。

    ちなみに、このページの写真をずっと見ると気が付くと思うが、家々は、単純な四角な形に造られ、煉瓦で壁を作ってトタン屋根を載せる、平入りの建物が一般的だ。村落博物館にあるような泥壁ニッパヤシ葺きというのは、少なくとも表通りには余り見かけない。

    生鮮野菜を扱っている店。まだ手前の店は準備中のようだが、その間から向こうの店の様子が見える。台の上にはトマトや玉ねぎ、地面にはジャガイモの袋が無造作に置かれている。タンザニアは食料が豊富だ。自給率95%と言われていて、主だった作物で輸入しているのは砂糖、小麦、米くらい。主食はトウモロコシの粉をこねたウガリだが、米を調理したワリの方が美味しくて人気があるので、今は米の増産が図られている。

    消費者として見るとタンザニアの野菜は、新鮮で種類も豊富だ。日本のように飼いならされた、子孫のできないF1種で作った野菜ではないので、強い生命力があって味が凝縮しており、大変美味しい。

    この写真の右手後ろにある「Duka la samaki wabichi」とある店は、鮮魚店だ。さすがにこの辺りは海に面しているので、田舎町でも魚屋がある。魚屋の向こう側の家はニッパヤシ葺だ。

    食料品の店には女性客が多いが、自動車修理店の周りは、やはり男性が多い。この写真中央手前の黄色い帯が入っている車は、タクシーだ。ダラダラと違って、タクシーは割と車体が綺麗なものが多い。

    ベッドの後ろに目をやると、軒の下にはソファが置かれおり、入口の脇の壁にはベッドカバーが懸けられ、天井からは枕が吊り下がっている。また、入口の右にはベッド用のマットレスが置かれている(Comfyと書かれた包み)。こういった家具需要がある田舎は、貧しいとは言えないと思う。

    意外と多いのが家具屋。露天に家具が並べられていることが多いが、その多くは、このベッドの枠のように、けっこう重そうな木で造られている。左がダブルで右がシングルと思うが、このような大きいベッドを収容できるということは、日本の平均的マンションなどよりもかなり広い家ではないか。

    もちろん、我が家の前の路地はむき出しの土の道。路地の先の四間道路も時折砂利が撒かれる程度だった(これは舗装に入っていたと思う。)ので、こういった村の様子を見ると、戦後昭和30年代頃までは日本も似たり寄ったりだったと思う。まあ、ある意味で江戸時代的町並が結構残っていたとも言える。

    街の風景を見た感じでは、タンザニアの平均的な庶民の生活レベルは、日本の昭和30年頃と大差はないのではないだろうか。もっとも、現在では、携帯とかインターネットとか自動車といった様々な文明の利器が使えたり、自分たちの生活レベルとは隔絶している外国人が日常的に自分たちの周りにいるという、当時の日本では考えられなかったような事情もある。そういった現代文明の産物を利用できることが生活向上にプラスに働くのか、むしろ自分たちの技術レベルと隔絶しているブラックボックスが山積していることが発展への足かせになるのか。日本の場合は、その後の急成長で街並みは大きく変わってしまったが、タンザニアはどうなるか?

    終わりに紹介するのが、国道(ダルエスサラーム=バガモヨ道路)からテゲタの集落に入って行く一本の脇道だ。ここも、舗装はされていないが、道は割と平らに見えるし、その両側に店があり、人がたむろしている。平和なものだと思う。

    思い返せば、子供の頃「少年少女世界年鑑」(小学校を長期に休んだ正月に、スエズ動乱のニュースを聞きながら読んだ覚えがあるので、昭和31年度版だったのだと思う。)のなかに、各国の道路の舗装率の比較が出ていた。アメリカが50%程度だったのに、イギリスとかオランダが100%とあった。確か日本は10%行っておらず、10%行っていない環境に生活していた私には、イギリスで道はすべて舗装されている、ということがにわかに信じられなかった。その頃は、千葉市の私の実家のあたりでは、国道51号線だけがアスファルト舗装されており、それもあちこち穴だらけで、自転車に乗っていて穴にタイヤを取られて転びトラックに轢かれて死んだ、というニュースさえあった。