
また、プロペラ機に乗ってキリマンジャロ空港まで飛んだ。今回の行き先は、飛行場の東に位置するキリマンジャロ州だ。

キリマンジャロ州には、その名の通り、州の北部にキリマンジャロ山がそびえる。タンザニア本土は、このキリマンジャロ州も入れて州が21ある。州は更に県に分かれていて、県の総数は127になる。タンザニアは日本の2,5倍ほどの面積があるので、平均してみると、タンザニアの県は日本の県とほぼ同じくらいの面積があり、人口は3分の一くらいになる。(*)
| (*) | タンザニアの地方行政は、州(Mkoa)、県(Wilaya)、区(kata)、村(kijiji)といった階層構造になっている。これらの中で行政の中核を担っているのは県と村であって、州と区は主として調整的な権限を持つに留まる。地方行政組織の長である州知事、県知事は、いずれも大統領が直接任命する。議会については、州は議会を持たず、県議会の議員は選挙で選ばれる。村では15から25人の村議会議員が村民集会で選ばれ、村議会議長が区の開発委員会の委員になる。 |
キリマンジャロ州の一番西にあるシハ県は2006年7月にハイ県から分かれてできた新しい県で、東にキリマンジャロ山、西にメルー山を望む雄大な自然の中にある。県としては小さくて、約15万人が1158平方キロの土地に住んでいる。住民の大半はチャガ族系の農民で、半乾燥の平地にはマサイ族が住んでいる。
シハ県を取り仕切るのは、アンナ=ローズ・ニャムビさんという女性の県知事だ。身長は160センチくらいで、どっしりと大きい。大勢を前にした時には大変パワフルだけれども、普通に話しているととても優しい女性的なところがあって、にこにこと笑顔で、気配りが行き届いている。そういったニャムビさんは、どういう背景を持った人かと思い、生い立ちなどを聞いてみた。


ニャムビさんは、タンザニアの北西の端にあるカゲラ州の出身で、カゲラのなかでもルワンダとの国境のルスモ滝の近くに生まれた。宗教はアングリカンで、これはカトリックとルター派が盛んなタンザニアとしては、ちょっと珍しい。オーストラリア出身の宣教師がカゲラの西部に入ったのが、その理由のようだ。カゲラ州でも彼女の生まれた西部は、最近になって道路網が発達するまでは、経済的にはルワンダとのつながりが強かったので、基礎的な物資はルワンダから入って来たと言う。
ニャムビさんの父親は教師で、兄弟は男二人女四人の六人兄弟だった。地元の小学校を卒業した後、エリート中等学校に進学しようとしたが、当時は県から一人進学できるかどうかの厳しい選考には外れてしまい・・・別に成績が良かったら選ばれるというものではなかったし、という述懐があった・・・父親が大枚はたいて、モシのミッション系の中等学校に入学させてくれた。その時カゲラからモシには鉄道で来たのを良く覚えている、と言う。ニャムビさんの父親は、息子には独立に必要な土地を手に入れて与え、娘には将来の人生に必要な教育を与えるということを実行した人だった。アンナ=ローズ嬢は、父親の期待に応えて高校を卒業するとすんなりとダルエスサラーム大学に入学を許された。・・・これは大変学業優秀だったことを意味する・・・そして、大学生活と引き続く連邦政府での勤務で、合わせて十数年をダルエスサラームで過ごした。
その後、最初の地方ポストとして地元のカゲラ州で勤務し、シハ県が発足するとその初代の県知事として赴任した。シハでの生活はそろそろ5年を超え、いつ転勤の辞令があってもおかしくない時期になっている由。結婚しているの、と聞いたところ、笑いながら、25になる娘がいるけれど、結婚はしていないの、母子家庭よね、という返事が来た。お嬢さんは大学を卒業して、ダルエスサラームで金融関係の会社に働いているという。
シハで生活するようになってから、気候が故郷のカゲラと似ていて過ごしやすいし、地元の人たちもよそ者を快く受け入れてくれる人たちなので、思い切って年金生活をしていた両親を呼び寄せて現在いっしょに住んでいる。ただ、しばらくしてから、やはり親しい友達や慣れ親しんだ環境と離れて寂しいと両親が言い始めているので、世話をできなくなるが、家も残っているのだし両親をシハに返そうかどうか迷っているところだ、と言う。こういった悩みは、私たち日本人と変わらない。

シハは、新しい県なので、県としての行政の体制を作るだけでも大変だったと言う。学校について見てみると、小学校(7年間)は、各村最低一校の目標を達成し現在53校になった。中等学校(Oレベル4年間、Aレベル2年間)も区に最低一校という目標を達成し現在13校。この13校はすべていわゆるコミュニティ校で、校舎は地域住民が主体になって建設し、教師を政府から派遣してもらっているものだ。他にミッション系の中等学校が3校(カトリック2校、ルター派1校)ある。中等学校が現在かかえる最大の問題の一つが、女子生徒(年齢的には13歳から19歳)の長距離通学だ。親に経済的余裕がある場合には学校近くに間借りをするが、そうでないと延々と片道10キロ以上も徒歩で通学することになる。その間に暴漢に襲われたり、象に襲われたりする。その結果、妊娠したりして退学や長期休学に追い込まれる生徒が後を絶たない。

日本の海外青年協力隊のボランティアが理数系教師として勤務しているオシャラ中等学校では、200名の女子生徒のうち、経済的な理由で間借りができないため、片道5キロ以上の通学をしている者が119名もいる。それで、日本からの支援を得て現在女子寮を建設中だ。もうすぐ建設が終わり、1月からの新学期には120名の生徒を収容できる女子寮が完成する。
そうすれば、女の子たちが安全に生活できて、勉強にも身が入るようになります、とニャムビ知事が嬉しそうに語った。彼女がしなければならない目標の一つが達成されることになる。これから、他の12校にも女子寮を立てなければならず、彼女はその資金の工面に奔走しなければならないと言う。連邦政府は、限りある予算のなかで、各区に中等学校一校という目標達成に努力を傾注し、一応目的が達成されたと思ったところ、拙速にやり過ぎたため学校の施設が不十分なところが多く、現在は施設関係の予算は、中等学校のトイレ建設につぎ込んでいる・・・ということは、現在トイレの無い学校がたくさんあるということになる・・・ので女子寮建設に国の予算は回って来ない。知事が金策に奔走する日々はなかなか終わりそうもない。

女生徒が象に悩まされる、と書いたが、象やライオンやシマウマもシハ県には時々現れて農地や人家が荒らされるのも、県の抱える問題の一つだと言う。シハ県はたまたま国境の北にあるケニアのアンボセリ国立公園とメルー山麓のアルーシャ国立公園との間にあり、両国立公園の間を野生動物が移動する通り道にあたる。象とかライオンと言うと何か特別のことと思われるが、日本も熊や鹿の被害が増えて来ているのと同じ現象で、人間活動が活発になるなかで、人間と野生の境界を引くことの難しさが表れていると思う。熊や鹿と違って象は野生動物保護の国際的な枠組みの下に置かれているので、どんなに被害を与えても住民が象を退治することは許されない。住民にとって、事態は日本以上に深刻だ。
他にも、農業以外の産業をどう発展させるか、定住したがらないマサイ族をどう社会のなかに取り込んでいくか、などなどシハ県の人々の暮らしを現代社会の基準に沿って向上させることは、容易なことではない。
シハ県の住民の太宗を占めるチャガ族は、タンザニアのなかでは勤勉として知られている。綺麗好きな性格も日本人以上と聞くが、なるほど、途上国でありがちな、道路脇にゴミが散らかっているような景色は目にしなかった。ただ、ニャムビ知事も言っていたが、あまり苦労せずに生活ができる自然条件に恵まれているタンザニアの人たちに共通して言えるのは、努力して勉強し、働き、収入を増やして生活を良くする、というような上昇志向的考え方に乏しいと言うことだ。
現状で十分幸せなのに何をあくせく辛い努力をする必要があるのか、ということらしいが、その点はとても良くわかる。本人たちは幸せなのに、周りから寄ってたかって、貧乏な暮らしはいやだろう、先進国の人のような生活を享受したいだろう、そのために援助してやるからこうしろ、ああしろ、と言われているというのが現状だと思う。他人の親切をむげに断ることの嫌いなタンザニアの人たちは、そういったおせっかいにニコニコ答えているが、本当はどう思っているのだろう、と思う。