
タボラ州からシニャンガ州に入ってしばらくしたところで、左側の集落の背後に大きい石碑のようなものが見えてきた。珍しいものかと思って、盛んにシャッターを押したのだが、これはほんの序の口で、これから北に向かうほどに道の周囲の石は増えていった。
中にはちゃっかりと石の上に宣伝を書き込んだものもある。
ごろごろした石は、ムワンザに近づくにつれていよいよ多くなっていった。ムワンザは奇岩がつくる丘に囲まれており、ムワンザ随一の観光名所は、何と湖岸にある奇岩ビスマルク・ロックということだった。このビスマルク・ロックは、このあたりを植民地にしたドイツの鉄血宰相ビスマルクにちなんでのことだと思うが、いろいろ探してみたが詳しいいわれについては、良くわからない。でも、この岩の有名なことは、タンザニアの1000シリング札のデザインにも使われている、と言えばおおよそ見当がつくだろう。


19世紀にナイルの源流探しがブームになった頃、英国人探検家ジョン・ハニング・スピークが1858年8月3日に現在のムワンザにたどり着いた。彼は、西洋人としては初めてヴィクトリア湖を見て、これがナイルの源流だとした。ムワンザは、ある意味で記念すべき場所にある。その後、ドイツが1890年に植民地支配の拠点の一つををここに置いた時に、ムワンザと命名した。
![]() 1928年に開業した鉄道のムワンザ駅 |
1920年代には金がみつかり、28年にタボラとの間の鉄道が開通したため、ムワンザは一時大きく発展した。しかし、その後、金も枯渇し、ニエレレの社会主義で停滞した中で、ウガンダ・タンザニア戦争では1978年に空爆を受け大きな被害をこうむった。ようやく90年代になって近傍で新たな金鉱脈が発見され、漁業が本格化し、更に、ルワンダとブルンディの内戦によって難民が押し寄せるとともに
ムワンザが国際的な難民救助の拠点となり、経済が飛躍的に拡大した。

2005年の国勢調査では、ムワンザ本体は22万5千人、近隣もあわせて43万7千人という数字が出ているが、2011年にはそれぞれ120万人と200万人という数字もある。市の人に聞いても、ムワンザの人口が100万人を突破し、タンザニアでダルエスサラームに次ぐ第二の都市であることは間違えないところだ。目抜き通りを通ってみると、ドイツ時代の都市計画が良かったのか、ダルエスサラームよりも瀟洒で活気があるように見受けられた。
しかし、急激に流入する人口は、ムワンザの町の周辺の都市計画の無い場所に勝手に住みついている。報道を見るとその数は45万人ほどになると言う。ムワンザは平らな土地が少ないため、勢い貧乏人たちは岩のごろごろしている丘に住みつき、彼らの家が丘の斜面を覆っている。貧乏なため電気を引くこともできず、上下水道もない。明かりはランプで済まし、水は遠くまで汲みに行くのが岩山スラムに住む住人の日課だという。最も問題なのはし尿処理で、時折汲み取りに来てもらうようだが、雨期ともなると悲惨な状況が避けられないようだ。

ムワンザに着いて、周辺の丘にへばりつくようにして建てられている家を見た時に、90年代半ばにまだフジモリ大統領が健在なペルーのリマに行った時のことを思い出した。リマはもっと広いところだが、夜ともなれば周辺の丘に鬼火のようにちらちらと灯がともる。何かと思ったら、貧しい人たちの家は山の斜面に建てられ、電気は盗電だということだった。ペルーは人種間の生活格差が大きいが、ムワンザでは平地に住むものも丘に住むものも同じ黒人だ。丘の中にはちゃんと開発されたところもあると言うので、現地の人たちの今後の努力に期待しよう。
ムワンザは急速に拡大しているというが、産業はそれほど育っているわけではない。ムワンザ州全体を見れば、基本的に貧しい農村地帯であり、産業としてはムワンザを中心とした漁業が重要な位置を占める。
ナイルパーチは、別項で解説したように、6つある加工工場に直接持ち込まれるということだが、一番産出量の多いダガーは、干して袋に入れられた形でムワンザの魚市場に持ち込まれる。ナイルパーチの収穫はここ数年激減したと述べたが、ダガーの漁獲は増え続けているという。おかげで、漁師の得る金目当てに、市場の中だけでなく周辺が大変活気を呈しており、銀行まで5行も市場前に支店を出している。市場の経営も順調に利益を計上していて、最近では年間5億シリングの利益を稼いで市に献上し、各種プロジェクトに利用されているそうだ。ムワンザの魚市場が活況を呈しているため、タンザニアだけでなくケニアやウガンダの漁民も魚を持ち込むし、買い手はルアンダ、ブルンジ、コンゴなどからも来ると言う。


ダガーは塩気の無い煮干しのような小魚で、煮干しと違って、漁獲後単に一日ほど天日干しをしてから市場に運び込まれる。市場には、漁師目当てに食糧や日用品が売られており、穀物や野菜などの農産物を始め、家具や薪まで売っていた。
ちょっと不気味だったのは、ダガー目当てに沢山のアフリカ・ハゲコウが屋根にたむろしていたことだ(現地語では、ンデゲ・ジョニーと言うそうだ。ンデゲは鳥だが、何でジョニーなの?)。日本の動物園でも見られるが、ハゲコウは翼を広げるとさしわたし3メートル近くになる鳥で、食べ物を横取りしたりすると大変どう猛になると言う。陰気な鳥と思うのは、偏見か?
