
ダルエスサラームから北の方向に伸びる幹線道路の右側に、村落博物館(Village Museum)がある。タンザニアににある120を超える部族から18の部族を選び、その家屋と家財道具が見学できるようになっている野外博物館だ。
村落博物館では、週末の16時から18時には民族舞踊のショーがあると言うが、まずは、地方に行かずともタンザニアの周遊をしたのと同じ知識を得ることができる、という展示の方を見ることにした。ガイドの案内がお勧めされているが、2万シリング(日本円で1000円)が当地の物価水準からすると目が飛び出るような高額なので、まずは自分たちだけで見て回ることにした。
外国人大人の入場料は6500シリング(5米ドル)で、外国人これもかなりのものだ。ちなみに、昔の中国のように、外国人価格とタンザニア人価格が別建てになっていて、外国人はタンザニア人の5倍ほどの支払いが要求される。加えて、ビデオ撮影には素人でも100ドルの追加料金が必要だ。取れるところから取るということなのかもしれないが、展示の内容と比較してアンバランスなほど高額という印象は拭えない。
![]() | 白抜きは、村落博物館に家屋が展示されている部族のいくつかを示した。 |






部族によって家の様式が違うと言っても、共通要素は多い。一言で言うと、土台は作らず、掘立小屋だ。形は丸かったり四角かったり、あるいはそれの組み合わせで多少複雑な形になっているが、壁は木や竹で骨組みを作り場合によってそれを泥で塗り固める、屋根は木組みで草葺き、というのが共通している。また、床はしつらえられておらず、土間で生活をしているということも共通している。室内に置かれた家具が実際のものと同じ程度に充実しているかどうかわからないのだが、家によってベッドが置かれていたり置かれていなかったりする。あるいは、置かれていない家では土間に藁などを敷いて寝ているのかもしれない。
円形の家からいうと、まずタンザニアの南西、マラウィ近くに住んでいるニャキューサ族の家。屋根を葺く草以外はすべて竹でできている。ニャキューサ族は一夫多妻で、一番若い妻が一番大きい家に住み、歳をとった妻は小さな家に住むという。若い妻はまだまだすることが多いので大きい家が必要だが、歳をとれば静かに毎日を過ごせば足りるということらしい。
![]() クウェレ族の家の寝室 |
他方、勇猛で鳴らすマサイ族の家は長方形だ。マサイは、ケニアに多く住んでいるが、ケニアに接するタンザニアの北部にも住み、牧畜を生業としている。掘立小屋の壁は、牛糞を塗って固めてあり、屋根は平らになっている。
マサイに隣り合って住んでいるイラクウ族は、部族としては大きいが、マサイの攻撃に晒されていたため、家にも工夫を凝らさざるを得なかった。
![]() 平和時のイラクウ族の家の天井を見上げたところ |
タンザニアの中央部、首都のドドマのあたりに住んでいるゴゴ族の家も、平屋根だ。こういった形の家は、タンザニアの中部に広く見られるという。屋根には泥が塗られていて、良くそこにカボチャが生えているという。
![]() アフリカ土着の溶鉱炉・・・西洋人が入る以前にもアフリカで発達した技術があった。 |
どうも、タンザニアの公共博物館は、週末は小学生の格好の勉強場所になるようだ。この日(土曜)も、バスに乗って数十人の小さい小学生の一団が来ていた。こちらに来てから、タンザニアのおちびさんたちのグループに良く会うが、目のクリクリした子供たちが、ちょっと毛色の違った私たちに好奇心を抑えきれず、勉強そっちのけでしげしげとこちらを見て、ジャンボとかハイとか話しかけたり、子供によってはハイタッチしたりする。その様子が実に可愛い。
この日は、学校の一団とは別に、兄弟四人で見て回っている子供たちがいて、そのなかの一番のチビが、土俗技法で作られた溶鉱炉の前で立っていた私に近寄って来て、私の手をじっとつかんだのにはびっくりした。手を持ったまま大きい目をもっと大きくしてこちらを見るのだが、状況がつかめない。いったん手を放したら、また何か言いたげに手をつかんでじっと下を見つめているので、その先を見ると、運動靴の紐がほどけていた。なるほど、とその紐を結んであげたら、にこっとして離れて行った。んんん。とりあえず役に立ったようだが、やっぱりスワヒリ語を話せないと、と反省。
