

ダルエスサラームの市の中心部はダルエスサラーム港につながる湾に面しているが、湾口の対岸をキガンボーニと呼ぶ。キガンボーニに陸路で行こうと思うと、湾を大きく迂回して30キロ以上も車をとばさないことには行きつかないので、湾口で両岸を結ぶフェリーは盛況だ。市側のフェリー・ターミナルは魚市場の直ぐ脇にある。ここから車と人で満載のフェリーに乗ってキガンボーニに行った。昨年9月にザンジバル島とペンバ島を結ぶフェリーが定員の何倍もの客を乗せて沈没し数百人に上る犠牲者を出したニュースが脳裏にあるので、多少の不安を抱えたままフェリーに乗ったが、一応無事に往復し、こうやってホームページの原稿を書いている。
キガンボーニに行ったのは、タンザニア人の友人サロメさんから家に来ないかと誘われたためだ。インド系のタンザニア人の家には行ったことがあったが、黒人系のタンザニア人に呼ばれるのは初めてなので、興味しんしんで誘いを受けた。フェリー・ターミナルで待ち合わせ、彼女の案内で車を走らせる。キガンボーニと言っていたので、フェリーを渡ってすぐのところか、と思いきや、行先は近くにある自宅ではなくて別荘で、そこに行くには舗装道路を10数キロ走りそれから砂利道を20キロほど走ると聞いて、まず驚いた。
フェリーを降りて暫くはある程度の家並みが続いたが、舗装が途切れたあたりになると殆ど原野と森の連続になる。サロメさんの勧めで、途中の村の一つで車を降りて、店を回ってのぞいてみる。
道のわきには、5、6人掛けのテールブルを3つほど置いた食堂があり、昼時とあって近くのおじさんが二人席に着いていた。その先の大きなマンゴーの木の下には、農家のおじさんが自分の畑で採れた野菜を並べて売っている。この日の主力商品はオクラで、戸板のような陳列台の半分はオクラで占められていた。他に、ホウズキのような格好をした唐辛子が二山、ライムが数個、マンゴーが5つ6つ。つましい品ぞろえだ。八百屋の店の前には、バイクに乗った若者が5、6人いる。田舎に暴走族がいるのか、と思ったのはとんだ誤解で、彼らはバイク・タクシーで、ダラダラが停まると、そこから更に田舎の集落に行く人を乗せるために待機しているのだった。日本製のバイクもあるよ、と言うので見ると、一台だけホンダだった。道を横切って反対側に行くと、若いモンが7、8人して素揚げの魚を売っている。店の後ろでは、イワシのような小魚を処理し、油で揚げている。

ひとしきり村を見学した後、更に車に揺られて行くと、周囲は灌木と背の高い草が入り混じった藪になる。そこで、ハンドルを左に切って、踏みわけ道のような道路をしばらく進むと視界が開け、広い芝生の中に地中海風の瀟洒な家が見えた。これは、案内してくれたサロメさんの家の隣のハワードさんの家で、ハワードさんがなかなか料理上手なので、今日は昼をここでごちそうになるのだ、という。
ハワードさんは、20年近くタンザニアに住んでいるイギリス人。今はルアンダで仕事をしているし、最近になって結婚した奥さんはタイの人で奥さんの住むタイにも行くので、この家には二カ月に一度1、2週間ほど帰って来るだけだ、という。そのハワードさんの家の敷地は50エイカー(20ヘクタール!)、ビーチの長さは700メートル!このあたりの海は海岸から直ぐ20メートルくらいはある崖になっているが、ビーチには砂浜が広がりとても美しい。ハワードさんはこの美しい海岸に700メートルもあるプライベートビーチを持っているというわけだ。それも2カ月で1、2週間しかいないのに。



説明を聞くと、このあたりは、タンザニアの有力者だけでなく、ダルエスサラームでそれなりの地位を占めている白人が別荘を持っているところで、近くに小型機のための空港もある。ハワードさんの隣はサロメさんの別荘だが、その隣はカナダ人そのまた隣はフランス人。そして、隣の家との距離は数百メートルはあるという。
ハワードさん手作りの、マンゴーサラダ、魚の素揚げニンニク・チリソース、鶏のタイカレーを頂く。これが全て絶品!聞けば、電気もガスも水道も来ていないこのあたりでは、電気は自家発電とソーラーパネルで、燃料はプロパンか炭、水は自前の井戸を使っているとか。通信は携帯電話網を使うということで、ライフラインについては、物理的に人間世界とつながっているものは何一つない。魚は、時々自分で糸を垂れたり、モリを使ったりして獲ることもあると言うし、野菜も自分の畑で作っている、と言う。このあたりでは、そういう材料を使って自分で料理しないと食事にありつけないだろうとは思うが、食事だけでなく、家の修繕や修理も含め、やはり自給自足能力のない人ではタンザニアの別荘暮らしはできないと思う。




食事をごちそうになってから、お隣のサロメさんの家に行く。こちらは、「ハワードさんのように立派な家でなく、現地風にニッパヤシで葺いた小屋よ。」ということだったが、どうしてどうして、二階建てにそびえる母屋は、大そう立派。家の中は、何かのつるで編んだ壁で仕切ってあり、風通しが良い。二階の広いベランダからお屋敷のなかが見渡せる。海の際には東屋風のバーがあり、その前の木陰が娘さんやお嫁さんの好きな場所で、ここに集まって食事をしたり話をしたりすることが多いらしい。バストイレのついた3
![]() 母屋の二階の廊下。左右に寝室があり、突き当りはヴェランダ。廊下の左に飲み物用の冷蔵庫が置いてある。 |
こっちに来てみてちょうだいと言われて、サロメさんについて藪の中に切られた小道に入って行った。なんだかトトロのメイのような体験。小道はそれほど続かず、出て行ったところは少し開けた空間でその向こう側には石積みの塀があり、地面には海岸の白い砂が敷き詰められている。これは、サロメさんの瞑想の場所なのだそうだ。ここに来て遠くに海を感じながら、風に揺れる木や草のざわめきに包まれ静かに物思いにふけることがとても好きなのだという。一見なんでもない空間だが、世の中と隔絶した別世界のようなところで、これが彼女が自分のために作った大好きな場所なのか、と思うと、特別の気持ちがしてくる。もともとは、モザンビークに近いタンザニアの南部の田舎に生まれ育ったサロメさんとしては、ダルエスサラームという大都会に出て来て仕事をしてはいたが、やはり都会よりも自然の中の方が幸せになれると言う。わかる気がする。
サロメさんは2人の娘と2人の息子のほかに、10人もの身寄りのない子供たちを引き取って立派に育てた。1人2人でなく10人もの子供を養子として育てるというのは、タンザニアのような途上国でも、経済的な能力があるというだけではできないことだろう。機会があったら、そういう決断をした理由を聞いてみたい。今、都会の雑踏を離れ、大自然に抱かれたところでたくさんの子供たちそして孫たちに囲まれて、サロメさんはとても幸せそうだった。そうやってたくさんの子供を育てたことで幸せがとても大きくなっている気がする。仕事から引退したら、コテージをいくつか足して、気の置けない友達やゲストのような気持ちで泊まりに来てもらう小さなペンションにしたい、と考えているそうだ。もともとは、田舎で畑を耕すことを目的にして購入した別荘だっただが、少しずつ建物を足しているうちに、サロメさんの夢はいろいろと広がって行っているようだ。