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  • ホテル・エマーソン・スパイスの正面

    アイーダの部屋の戸口(左)と吹き抜けに面した窓

    エマーソン・スパイス
    ・・・ストーンタウンの迷路の中にあるホテルは優れた文化遺産

    ストーンタウンの宿泊先の選択は、大いに悩むところだ。高級志向であればシャンガーニの海岸に面したセレナ・ホテルが抜群だろう。ただ、それでは、ストーンタウンの魑魅魍魎の世界から遠ざかってしまう。それに、食事も悪くはないが平版なものだ。それで、食事の評判が高く、中央市場に近い迷路の中にあり、ザンジバルの古い支配者の最後のムウィニイ・ムクウであるアハメド・ビン・モハメド(1785~1865)が建てたと言われるエマーソン・スパイスに居を定めることにした。


    南側の路地から見たエマーソン・スパイス。我々の宿は二階。
    ストーンタウンの内部には、自動車では入れない。自動車が入れるのは、大統領官邸、セレナ・ホテル、驚嘆の家といった海岸沿いの代表的な建物の前を通りストーンタウンを一周する外周道路と、昔の船着き場から町の西部を縦断するケニヤッタ・ストリートくらいしかない。それで、飛行場からタクシーに乗ってエマーソン・スパイスに行くにも、中央市場か驚嘆の家の脇でタクシーを降り、あとは荷物を曳いて、狭い路地を歩いて行かざるを得ない。そんなことでホテルはみつかるのか、と心配することはない。タクシーの溜まり場に行くとポーター兼案内役を買って出る人間がたむろしていて、1000シリングも渡せば、喜んで目指すホテルまで荷物を担いで迷路を先導してくれる。暗く曲がった路地を4、5分も歩いた後で、ちょっとした広場に出て仰ぎ見ると、エマーソン・スパイスの印象的なファサードが目に入った。

    エマーソン・スパイスのディナーから

    グアカモーレ、パパダム、ほうれん草の天ぷら、セヴィッチェ
    ゴールデン・ターメリックのイカの天ぷら、オレンジ風味サツマイモ
    三皿目は、スパイシーさつま揚げ、揚げバナナ、黒胡椒
    キングフィッシュ・バナナリーフ包みとカルダモン・マンゴー
    終わりは、二種類のフルーツ・ソルベと果物ソテー


    アハメド・ビン・モハメドと息子
    ザンジバルには、14世紀末にポルトガルの支配が及ぶ以前から、ペルシャから来てザンジバルに住み着いたシラジ人だと自称するトゥンバトゥ族とハディム族が住んでいた。ザンジバル島の南を領域としていたのがハディム族で、ポルトガルとオマーンの支配を生き抜いて、19世紀までエル・アラウィ家の家系が続き、ムウィニイ・ムクウという尊称(「偉大な支配者」を意味する。)が使われていた。もっとも、ポルトガルが来た頃は明らかに「ムーア人」だと言われていたハディム族もその後大陸から移住してきた黒人との混血が進み19世紀には黒人と見分けがつき難くなっていたようだ。アハメド・ビン・モハメドを始め代々のハディム族の支配者はムウェニイ・ムクーと

    ホテルの二階の廊下
    いう尊称を使い住民の畏敬を受けていたが、ムハンマドの死後ムウェニイ・ムクウを受け継いだ息子が1873年に亡くなると、13世紀以来の家系は断絶する。

    ハディム族は、もともと肥沃なストーンタウン付近を根拠地としていたが、進出して来たオマーンの支配者に追われ、ムハンマド・ビン・アハメドは、ザンジバル島のほぼ中心にあたるドゥンガに根拠地を移した。しかし、時々はストーンタウンに来てスルタンに面会する必要があったため、そのための家を建てた。エマーソン・スパイスの東と北にL字型に伸びる棟がそれだ。ムウェニイ・ムクウの家系が断絶した後は、ヒンドゥ教徒のパテルがこれを購入し、今は広場に面したインド風の西翼と南翼を付け足した。

    いずれにしても、エマーソン・スパイスの建物は、19世紀のザンジバルでは有数の金持ち達の手になるものだ。その後、戦後になり1964年の革命の後さまざまな手を経た後、1980年にはまだホテルの少なかったストーンタウンに、スパイス・インという名前で再スタートを切った。

    窓を開けて、路地のさざめきを聞きながらの朝食
    その後、ザンジバルに渡って来たエマーソン氏がこの物件に惚れ込み、2006年に建物を手に入れてエマーソン・スパイスというホテルに模様替えをした、という次第だ。模様替えと言っても、内部は全く造り変えなければならなかったということで、外見はともかく内部はオリジナルから大きく変わっているようだ。

    エマーソン氏は、我々が滞在中も、ほぼ毎日のようにホテルに顔を現わせ、客とよもやま話をしたり、料理の感想を聞いたりしていた。実は、滞在中に裏庭に出てみたら、殆ど工事現場のような惨状をきたしていたので、どうしてかとエマーソン氏に聞いたところ、資金が豊かというわけではないので、少しずつお金を貯めては改造を進めているのだとか。それでも、広場側の外壁、客間6室、そしてレストランとして使用される屋上は改装が済み、なかなかファンタスティックな雰囲気を漂わせている。西洋人の持つザンジバルのイメージに忠実な改装、と言ったらよいだろうか。


    屋上レストランの客たち

    私たちの宿泊した二階のアイーダの間は、吹き抜けの中庭に面している。吹き抜けを右手に入口のドアを開け、入ったところが天井の高い寝室。寝室の壁には、エジプト風の壁画が描かれ、室内灯のガラスにもホルスが浮き上がって見える(だから部屋の名前はアイーダ)。立派な蚊帳つきのダブルベッドは、床から1メートル以上も高く造られており、蚊帳の中では吊り下げられた扇風機が南国風に回っている。寝室から一段下がると、ちょっと小さめの居間があり、窓からは路地の風景が見下ろせる。朝になると窓を開けて行き交う人のさざめきを聞きながら朝食だ。その脇には螺旋階段があり、階上にはベッドが二つ据え付けられている。子供連れの家族には格好のスペース。この中二階からは、ステンドグラス越しに寝室が見下ろせる。全体としてとてもオリエンタルで古色が出たデザインだが、バスタブなどの水回りは超現代的なドイツのメーカー品で、要所要所には素晴らしいデザインの西欧の製品が使われている。それが、また、古びたオリエンタル風な部屋の造りに合う。

    と、ひとしきり部屋を褒めたところで、夕食がまた格別だ。

    夕食は、五階の屋上になる。ここまで登ると、普通2、3階になっているストーンハウスの通常の家並みを見下ろし、360度のパノラマが広がる。エマーソン・スパイスの料理は、評判が良いらしく、部屋数は6つしかないのに、テーブルは7つあり、それがみんな埋まっていた。この晩、遠くタンザニア本土の方ではひっきりなしに稲妻がきらめき、ところにより大雨が降っているようだった。この屋上レストランにも一時ばらばらっと雨が降って、いくつかのテーブルが屋根の下に避難してきたが、それからあとは雨も上がって、南国とは思えない涼しい風が吹く。南国の宵に酔いしれながらスパイスのきいた料理を楽しんでいると、まだ宵の口だと言うのに、この晩餐が何やら別世界の出来事のように思えてくる。


    キッチンで働く人たち