

ダルエスサラームに来た当初、海岸を通るたびに沖合にたくさんの貨物船が浮かんでいるのが目についた。ダルエスサラーム港もなかなか賑わっているのだ、と思っていたが、ほどなく、それは港に入る順番を待っている船だというのを知った。そう言われれば、少しくらい時間がたっても、船影は位置を変えない。(2001年にはコンテナ船の待ち日数は0.2日だったのが、2008年には7.2日になった。一番新しい統計の出ている2009年でも待ち日数は平均で5.0日ある。)
ダルエスサラーム港は、ケニアのモンバサ港と並んで東アフリカ有数の港で、タンザニアの輸出入に重要なだけでなく、タンザニアと国境を接しているマラウィ、ザンビア、ブルンディ、ウガンダといった内陸国、更には国土の広さに比べて海岸線が極端に短いコンゴ民主共和国にとっても、世界に向かった窓となる港だ。しかし、話を聞くと、ダルエスサラーム港は、大型船は入れず、荷物の陸揚げに時間がかかり、陸揚げされた後の手続きにはなお時間がかかるだけでなく、その間に船荷が窃盗にあう頻度も高いといった、悪い評判ばかりを耳にすることが多い。
そうこうしているうちに、ダルエスサラームの日本商工会議所がダルエスサラーム在住者のために港の見学をアレンジしてくれることになったので、喜んで参加させてもらった。当日は、大人や子供が中型のバス三台に分乗して港へと向かった。参加者全員の感想として、港の施設は思ったよりは余程整っているという印象があったのだが、その時にもらった資料などをもとに、ダルエスサラーム港の状況について触れてみたい。
ダルエスサラーム港は、大政奉還のあった1867年に、当時のザンジバルのスルタンによって開かれた。不十分とは言え、少しずつ近代港としての設備を整え、現在では、11のバースを持ち、そのうち4つはコンテナバースになっている。
ちょうど私たちが見学している間に、パナマ船籍の自動車運搬船が入港して来た。一隻で5000台ほどの車を運搬する船がはしけに誘導され、バースに横付けされる。もっとも、5000台すべてがここで陸揚げされるわけではなく、すでにどこかの港に寄ってきたた後に、ここでタンザニアと近隣国仕向け用の1500台とかを陸揚げした後、船はまた別の港に向けて出て行く。日本の中古車は、タンザニアや近隣諸国で人気があり、タンザニアでは年間2万台ほど輸入されている。また、新車もランドクルーザを中心に毎年1000から1500台が輸入されている。自動車運搬船の入港は結構頻繁にあるようで、たまたま先月半ばに街中から港の写真を撮った時には、NYKの自動車運搬船が入港していた。
パナマ船が入港するのを何とはなしに見ていると、遠目には甲板に立っている人と思っていたものが近づいてみると単なる人形に過ぎないものだとわかった。船体から飛び出している梯子や手すりには全て鉄条網が巻かれている。人形は、海賊相手の案山子のようなものだと気がついた。自動車運搬船は舷側が高いので海賊には比較的抵抗力が高いそうだが、やはり用心は必要だろう。しかし、カラス相手でも余り役に立たないように思う案山子が、海賊相手に効果を発揮するのだろうか。

港を見る前は、港の敷地の中にもゴミが散乱しているかと思っていたのだが、港の施設は清掃され、大変に清潔に保たれていた。ちょっとびっくりした。以前に来たことのある方の話では、かなりの改善がなされたようだった。
一般貨物用のバースを離れてコンテナバースに行ってみると、一隻船が着岸し、荷降ろしをしている最中だった。使っているクレーンは西独のゴットヴァルト社製。若干小型で華奢なクレーンが一基で積み下ろしを行っていて、たいして大きくないコンテナ船一隻の荷揚げにも何日もかかってしまうようだ。(2001年にはコンテナ船の積降日数は0.7日だったのが、2008年には10.5日になった。一番新しい統計の出ている2009年は8.2日)コンテナは、陸揚げした後は少し離れたコンテナ置場までトラックで運ぶようになっている。また、港から2キロ離れた内陸にもコンテナ置場が設置されているという。

港の中のコンテナ置場に行ってみると、四段積みになっているが、整然とと言う感じはあまりしない。見ている限りトラックが来てコンテナーを積み出して行くという作業は行われていなかった。15年ほど前、シンガポールの港の直ぐ脇に立つビルで働いていたのだが、オフィスの窓からコンテナ船が港に出入りしスピーディーに荷降ろし荷揚げをし出港して行く様子が良く見えた。当時のシンガポールの状況と比較しても、現在のダルエスサラーム港の状況は、まだまだ天地ほどの違いがあると言わざるを得ない。

港の関係者に先導されて、埠頭から100mほど陸側に入って行ったところにある穀物サイロを見に行った。3万トン規模で、陸揚げした穀物をトラックに乗せてここまで運んできて貯蔵するという。これも、かなりのんびりとした話だ。以前見たことのある鹿島港では、飼料会社各社のサイロが林立していて、船から吸い上げられた穀物がコンベアで直接サイロに送り込まれていた。関東一円の家畜の需要を満たすだけであれだけのものがあるのに対し、こちらはタンザニアに加え内陸の何か国かの輸入需要を満たすためのもので、やはり物量の圧倒的な相違に思いが至る。日本人がモノを消費し過ぎるということなのだろうか。
港と国内あるいは隣接国との間の輸送は、90%がトラック、10%が鉄道(うち3%がタンザニア鉄道、3%がタンザン鉄道)という。ここにもインフラの弱さが出ていて、メインテナンスの問題があって、鉄道の持つ輸送力が十分に利用できていない。
港湾関係施設の能力が不足していることは間違えないのだが、それにもまして、手続き処理の遅さに関係者の不満は集中している。税関と国家収入局(TRA:Tanzania Revenue Authority)の二つの関門を通るのに、何週間というのは普通で何か月もかかったという話も聞く。統計を見ると、陸揚げされたコンテナーが諸手付きの間港に置かれる日数は、2001年には26.6日だったのが、2009年にはそれでも17.8日に「短縮」されていると言う数字が出ている。

まあ、後発開発途上国の港なので、港湾施設では世界最先端とは言えない日本と比べても、比べ物にならないほどの見劣りするのはやむを得ないだろう。問題も山積しているが、それでも、統計を見ると少しずつだが貨物の取扱量は増えて来ている。これから港の能力アップを図る必要があるのはもちろんだが、将来的な問題としては、この狭く曲がった湾口を入って来るという地理的条件自体が、港が始まった当初は大きな利点だったであろうが、現代の要請に合わせて港を拡充する上で大きな障害となっている。そのため、例えばバガモヨあたりに大型港湾を新設するべきだという議論も上がっているらしい。
順番待ちの船がダルエスサラームの沖合に列をなす姿は当分なくならないだろうが、タンザニアの人には頑張ってもらいたい。タンザニアの頑張りに内陸国の運命も大きく依存しているのだから。